雲ノ平山荘は雲ノ平のほぼ中心にあり、小屋の中からでも笠ヶ岳や黒部五郎岳など
雄大な眺めを楽しむことができる。
B2FE.jpg)
小屋は1959年(昭和34年)に三俣山荘、水晶小屋を経営されている伊藤正一さんに
よって建てられた。
ユニークな庭園の名もこの伊藤さんが雲ノ平を世間に紹介するときに
付けられたものである。
小屋の収容人数は70人だが、ピーク時にはこの2倍近い登山者が泊まることもある。
.jpg)
ロビーの風景
2007年(平成19年)の宿泊客の最高は、8月13日に記録した116人であった。
やはり登山者は夏場の三連休やお盆休みなど、まとまった休みがとれる日に集中し
混雑するが、それ以外の日は静かなものである。
小屋の電気は自家発電で、基本的に朝夕の日が出ていない時間と天候の悪い日のみ
稼動させている。
これもできるだけエネルギーを使わないという小屋側の意志である。
小屋で電力を必要とするものは、主に照明、肉や冷凍食品を保存するためのストッカー、
無線の3つである。野菜などの食材は常温保存している。
山小屋生活では水の確保が必要不可欠である。
雲ノ平では、小屋から約2キロ離れた水源から湧いている水を消防用ポンプで
汲み上げている。
.jpg)
小屋には貯水用の1tタンク(上記写真を参照)が3つ備え付けられているが、
この貯水能力は他の北アルプス内の小屋と比べるとかなり少ない 。
また、ポンプアップもこまめに行うわけではないので、
とにかく小屋では節水を心がけている。
この姿勢は単にエネルギーの節約だけでなく、
登山者にも山ではいかに水が大切なものであるかを理解してもらうためのものでもある。
他にも小屋では宿泊客が使用できる蛇口を1つしか設けておらず、
トイレの手洗い用の水も雨水を利用している。
飲料水は、タンクがあまり清潔なものではないため、
一度煮沸してから登山者に有料で提供している。
また、ピーク時には、時間的に余裕のある登山者にはキャンプ場まで水を汲みに
行くように促していた。
2007年(平成19年)は適度に雨が降ったため水源が枯れることはなかったが、
2006年(平成18年)のように8月に雨が降らないと、水源が枯れてしまい、
別の水源を探すこともある。
このような状況に陥ったときこそ、改めて小屋の生活がいかに山の自然に頼って
成り立っているものかを実感する。
同系列の水晶小屋では小屋が稜線上に建っているため、湧き水がまったくない。
そのため、貯水した雨水を利用している。このような小屋では雨が降らない場合の
生活の危機的状況が顕著となる。
食料や燃料はヘリコプター(以下ヘリ)による荷揚げに100%頼っている。
.jpg)
雲ノ平山荘でも、1965年(昭和40年)頃までは人力による輸送(歩荷)を行っていたが、
いち早く伊藤さんはヘリでの輸送に切り替えた。
そして、現在ではヘリなしでは物資の輸送はほぼ不可能なまでヘリに頼っている。
ただし、ヘリによる輸送にも問題点はある。
まず、費用の問題である。ヘリでの輸送には一回のフライトでおよそ16万円かかる 。
これは小屋の経営にとっては大きな出費であり、
都合に合わせて物資を運ぶことはできない。
また、山小屋の数の割に、ヘリ会社の数が少なく
山小屋側の日程どおりにヘリが飛ぶとは限らない。
さらに、ヘリという乗物自体が決して安全なものではなく、それを証明するように
2007年(平成19年)の春もヘリによる事故が相次いだ。
ならば、人力による輸送に戻すべきかというと、
それも今となってはできるものではない。
このようにヘリによる輸送にはさまざま問題があるが
、特に雲ノ平や三俣といった北アルプスの中の最奥地ではヘリが不可欠である。
.jpg)
小屋の屋根から夕日を眺める。屋根に上れるのは従業員だけ。
この築50年になる雲ノ平山荘も今年の営業を最後に建て直されることになった。
北アルプスという過酷な環境で、人々のオアシスとなっていたこの小屋の役割は
本当に大きかったと思う。
半世紀お疲れさまでした。